湯無田

特派員便り 湯無田郷から

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    キーマスター
    人口/世帯数 1723人/584世帯  2010.09.30現在 面積 3.54k㎡
    概要  湯無田郷は現在町内で三番目に大きな自治会として活動しています。
    郷の特徴的なこととして、まず湯無田郷を語るには歴史的過去を知らなければなりません。郷内には二つの神社があります。その一つが熊野神社で、郷村記や波佐見史によると、今から約600年前の室町時代に、現在の愛知県知多半島の野間内海を領有していた内海修理亮泰平が、波佐見に来住する際に熊野権現のお札を持っていたため、今の防辺田の地に神社を勧請して守り神にしたといわれています。秋の9月26日には例大祭と五穀豊穣感謝の奉納浮立が毎年催されています。もう一つの神社は、内海金山(波佐見金山)の麓に鎮座する陶山神社です。この神社はその名のとおり、窯業の守護神として奉られています。元々この地には、摩利支天の神と金山の守護神としての山ノ神が奉られていたもので、現在は合同管理して奉られています。波佐見金山は、明治29年に内海の川原川内の山で金鉱石が発見されて以来、湯無田、井石、中尾、小樽の四郷に亘って鉱脈があり、その広さは390ヘクタールに及んだといわれています。

    また、金銀の含有量も良く、従業員も千名を数え、明治40年頃の「東洋一の金山」と誇称された最盛期には、国を挙げての支援もあって目を見張る程の繁栄ぶりで、発電所の開発によって波佐見で最初に電灯が点り、迎賓館が建てられ、更には波佐見金鉱郵便局が開局し、盛り場や芸者屋、住宅や商店が立ち並び、大正3年の閉山に至るまで、波佐見銀座さながらの賑わいであったと言われています。

    時代の激変の中で現在では跡形もなく、中心となる沿線もシャッター街と化しつつありますが、郷民の再生への意欲と心情だけは変わらないことを信じ、産業発展と美しい自然環境との共生の中、伝統を守りながら明るい活気ある「湯無田まちづくり」を目指したいものです。

    施設・史跡
    通信(行事) 熊野神社奉納山中浮立  陶山神社奉納相撲大会
    名物・自慢・達人
    写真
    区域
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