穏やかな山容に四季折々の彩を見せる田ノ頭郷のシンボル大平岳、その懐に包まれ散在する民家、広々した空と田園風景、自然環境に恵まれた田ノ頭の里は波佐見有数の穀倉地帯として活発な営農活動が展開されています。
その地名・字名は、地形・気候・農耕生活の在り様にも由来し、鎮守の杜の石祠からは豊穣、息災、安寧に腐心した遥か先人の暮らしぶりが偲ばれます。
近年、町中央部に近い利便性から、事業所や商業施設、医療関係等の進出や住宅・アパートの建設が続き、特に県道沿いの家屋の密集、車の往来には往時の様相から一変した感があります。
田ノ頭の史跡と輩出した偉人、名所の一端を紹介しましょう。
慶長・寛永年間に二度大村領の検地奉行として功績を挙げ、大村藩家中のキリスト教信者の代表格として名を残した福田金右衛門、その墓碑が町指定文化財の登録を受けています。
黒板兄弟は明治初期に当地で生誕され、兄黒板勝美博士は東大史学部で長年に亘る教鞭の傍ら、国史の大家として広く日本史研究の基礎を築き、藤原京発掘調査の他、文化財調査保存にも多大の足跡を残されました。弟黒板伝作氏は東大工学部卒、苦節の末、月島機械製作所を創設され、今日環境関連機械メーカーとして名立たる地位を築いています。また、妹カヨさんは今里酒造へ嫁し、あの今里広記氏らの母君であります。
兄弟からは、下波佐見小学校農園(現南小学校運動場の東半分)の寄贈を受ける等、地域に恩恵をいただいています。
樹齢130年ご存知、平野家の枝垂れ桜は郷内保存会の皆さんによる手厚い保護の下、年々元気と優艶さを取り戻し、今や県下指折りの名所として、ネット配信による遠来のファンをはじめ、毎年春を待ちわび桜花を愛して已まない多くの方々を魅了しています。
こうして連綿と築き上げられた郷民の誇る風土、歴史文化財、伝統を守りつつ、人に優しく住みやすいふるさと作りに努めて参りたいと思います。 |