永尾郷は周囲を山に囲まれた緑豊かな集落です。年間行事は、桜吹雪の中で行う運動会(隔年)、夏まつり(隔年)、球技大会、ウォークラリーや講演会を行っています。
我が地域では、慶長の頃から陶器造りが始まり、大村藩主喜前をはじめ、歴代の藩主は陶業の発展に力を尽くし、寛文6年(1666年)、三股皿山役所(現在永尾郷)を設け、押役(のち皿山奉行)を置いて陶業の保護育成に努めたので、波佐見焼はめざましい発展を遂げました。そのお陰で、郷内には歴史を刻む古窯跡があちこちにあります。
その中でも、全長155mの永尾本登窯は昭和25年まで焼かれ、登窯跡の段々やレンガが一部残っています。また、智恵治窯は、昭和27年まで焼かれており、ここで焼かれた壷はマッカーサー元師に献上され、窯5基のうち3基は原基のまま保存されています。
また、私達の心のふるさとである永尾分校は、地域住民の陳情によって、明治35年4月に開校されました。住民たちは大変喜び、寄付金や材木を提供し、工事の際は総出で奉仕したそうです。
次に、永尾山の知られざる自然を紹介します。
まず、獅子落とし山は海抜469mあり、山頂付近は断崖が続く名前どおり険しい山です。その山を約700m降りると、幹周り3・6mの立派な欅があります。専門家の話では、近県にはない銘木
だとのことです。
そこから東へ500m行くと、ビシャゴ岩と呼ばれる高さ40m位の一本岩があります。さらに200m行くと、昭和20年3月29日、住民が見ている中、日本軍に撃墜されたコルセア戦闘機が墜落した山があります。地元の人達は、竹槍を持って駆けつけたそうです。
また、この周辺は光る石があるためか金山と呼ばれ、内海金山採掘の折に試掘もされた跡もあります。光る石は一見金のようですが、黄銅鉱とのことで残念です。
町民の皆さん、永尾林道沿いの森林セラピー体験はどうですか。 |