平野郷は、波佐見町の最南端に位置し、町内最小地区で川棚町との町境が海の入り江のように複雑な地形をしています。東に川棚川を挟んで岳辺田郷、北は志折川を両側に挟んで志折郷、南は川棚町中山郷と町境の郷です。
基をたどれば、川棚町の中山郷は波佐見町の中山郷でした。昭和31年以前の中山郷は町内でも有数の大きい地区でしたが、昭和31年に波佐見町と川棚町に分裂分割し、波佐見町に残ったのが、わずか20数戸でした。平野郷の原籍は波佐見町中山郷で、字名が平野の地名なので、波佐見町では平野郷と呼ぶようになりました。現在は世帯数も以前より増えています。
平野郷の史跡を手繰れば、旧石器時代の遺物で縄文時代よりも古く、1万4千~5千年も昔に遡ります。これが栗林遺跡です。現在でも細石器が出土しています。
また、大正年間以後は途絶えてしまったといわれる中山浮立もあります。その起源は定かではありませんが、波佐美神社の祭りを初め、祭り等に広く用いられていたそうです。正装して舞を奉納し、彼杵坂本浮立、川棚百津浮立とともに大船に分乗し、大村藩主の観覧に供していたと波佐見村中山郷浮立秘伝抜粋釈に記されています。
自治会活動については、年末に老人会と子どもたちで門松作り、元日には有志による餅つき会、4月は花見会、8月には夏越祭、9月は敬老会、11月は神待祭、そのほか、老人会では花いっぱい運動、PTAは子どもの通学路の草刈等を行っています。また、婦人部は駅伝の炊き出しを初め、炎まつりの青空農家レストランで自慢の料理を提供し、スポーツ会は、様々なスポーツ大会に出場するなど縁の下の力持ちです。
このような小さい郷でも皆が協力し合い、全てに参加して一生懸命頑張っています。また、全てにおいて団結力のある平野郷で~す。 |